Music / Sound (Solo)


マッチャポテトサラダ - minijack (2019)

ミニジャックにイヤホン/ヘッドホンが差し込まれ、あらゆる情報があなたとインターフェイスの間で情報が媒介される。生活の環境音から、ギターやピアノといった生楽器の音色、接触の時に発生するノイズ、インターネットの動画でよく見られる雛形的音声、など様々音声をサンプリングすることで、ミニジャックからイヤホン/ヘッドホンを抜き出すまでのあらゆるメディアとあなたとの情報の媒介を表現した。




Cool Deep Feelings - COOL DEEP FEELINGS 2004-2014 (2022)

インターネットのあらゆるサイトから収集された音声ファイルを繋ぎ合わせたり、それを用いて楽曲となったり、あるいは無加工のままであったりなど、それぞれの文脈から切り取られてただの過去的なイメージの標本として並べられた楽曲群。本作は永遠の凡庸な過去(でありながら一時代的な)の保管庫であり、しかし過去を振り返る現在という構図の中にあるものではなく(つまりただの美しいノスタルジアでは無い)、今もまた一瞬に過ぎ去る過去に過ぎない自らをやや外部的に移す鏡である。




マッチャポテトサラダ - アニメーション・トリッピング (2022)

本作は二つのテーマがある。一つ目は文脈と「切り抜き」である。
大きな物語の終焉とSNSの普及により、誰もが「引用」を簡単に用れるようになり、良識を持たぬ「引用」が広がった末、この世に溢れている文脈が本来の意味とは切り離された「切り抜き」が多く見られるようになった。それは散見される切り抜き動画やy2kブームの一部などにも見られ、「切り抜き」は最も現代的な行為の一つである。
私は「切り抜き」を批判する。それらはあるべき文脈が削がれてしまった情報である。しかし私は「切り抜き」を享受し愛してもいる。私が愛するサンプリングによる音楽表現は「引用」というよりむしろ「切り抜き」に近しいものである。これら矛盾した「切り抜き」に対する評価への葛藤を内包して制作するのが一つ目のテーマであった。
もう一つ目のテーマは「時間」である。
私は中高一貫男子校だったことやコロナウイルス感染症流行といった個人的経験から、何もなく時間が過ぎる焦りを感じることが多かった。また過去の作品を見たり聴いたりするのが好きなのだが、それらを好むのはその作品の本質なのではなく「過去」風の味付けに美しさを感じているのでは無いだろうか。過去に作られた作品はその文脈の中で作られた作品であり、それを「切り抜」いて享受するのは不健全なのではないだろうかと疑問に思いながらも、やはり僕は享受してしまう。また過去の作品を見聴きする時疎外感を感じることがある。そうした「時間」によって作用する悲しさや美しさを描くのが二つ目のテーマであった。
複雑に絡み合い矛盾する『文脈と「切り抜き」』と「時間」という二つのテーマをモラトリアムの中で落とし込んだのが本作である。






Mattya Potato Salad And His Strcture Mayfield - Material Vacances / 記号化する身体 (2023)

現在生きている中で耳にする音(音楽や効果音)で実際の音が使われていることは実は少ない。そのような直接的な特徴は捉えている誇張した再現(記号とも言える)が増えている、本質的なものは表現しきれているのだろうか。コンピュータなどで再現されたピアノやギターの音が溢れた世界でただ皮肉するわけではなく、前者は水や木といった物質、後者は身体をテーマに、それらをさらにデフォルメすることでその本質を問い直す。




DRUGPAPA - The Drugpapa (2023) / VPN Elsagate (2024)

「凡庸の中からの叫びの音楽 | 「The Drugpapa」 ライナーノーツ」を参照。
凡庸でないことすらも凡庸であるという現状から脱却するため生み出された、過剰な凡庸の美学への追求。




paper flat - 魚 / The COOLs - 自由帳には何もない (2024)

良くも悪くもない。心地よい、うるさい、かっこいい、ダサい、愉快、悲しい、新しい、懐かしい、それら何の感情も持たず与えない。起きてからまだ何も一日を始めてもない、ベットの中でまだ何も考えてないような無意識の心理状態、音楽性=感情を持たず誘発させる目的のない音楽をテーマにしたアルバム「魚」。組み合わせの良し悪しや楽曲の構成や音楽としての機能性などを考えるのではなく、ただただ無意識に選び取ることで、同じく無意識の心理状態をそのままスケッチしたアルバム「自由帳には何もない」。
懐古的な凡庸から離れた、快楽を失った凡庸を目指した。




MUFO - Strange Beautiful (2024)

柔らかに共鳴し合う流動体に突き刺さる、一本の秩序としてのビート。

Etc....



Music (With Someone)

rarerhythms · 時の回廊 (クロノトリガーより) / Corridors of Time (from Chrono Trigger)

rarerhythms (2019-)

ビビット赤田とマッチャポテトサラダによる、ヒップホップクルー。
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DRUGPAPA (2022-)

Audiostokerとシロメとマッチャポテトサラダによる、Tokyo Kinky Electronic Band or Crew。
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朝の群れたち (2023-)

原祥太とマッチャポテトサラダによる、ボサノヴァポストパンクバンド、及びアンビエントファンクバンド。
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検索少年 (2024-)

Audiostokerとマッチャポテトサラダによる、オルタナティブロックバンド。


ヤオヤビル (2019-)

マッチャポテトサラダとカカシ保存計画とHarut apple loopとカタリ食べラールドマウスと腹黒”黒メガネ”分度器太郎などによる、ポストパンクバンド。
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気分は宇宙人 (2023-)

松木とマッチャポテトサラダによる、在宅ファンクバンド。

Etc....


Video

Zapping Flash Sea (2023)

生まれてから死ぬまでの人生という長い期間を映す中で、先述の文脈と「切り抜き」、時間、記憶、記憶媒体などについてを表現しようとしたのがこの作品である。
前半のパートのテーマは我々が時間というものをどう取り扱うかである。我々がさまざまな個人的な事象をそれぞれに記憶し、それらは時に美化されたり、あるいはトラウマとして人生という時間軸の中で深い意味を持つ。我々はそれらの個人的な事象は様々な(時代によって進化し続け、脳の記憶と連携される)記憶媒体によって保存もする。しかしそれらは他者にとってはどうでも良いものである。その「どうでも良さ」に私は注目したい。濃密で美しかった人生という長い時間が、短く粗雑に残虐に扱われることで、当の本人にさえも長く、どうでも良いものとして扱えてしまう。本作品の前半は昨今立ち現れた「タイムパフォーマンス」という価値観への疑問、および他者がそれぞれにどうでも良いとも取れる記憶を大切に保持して、お互いに干渉したりしなかったりして、それぞれに生きているこの世界の美しさを表現している。
中盤のパートは編集する自己と編集される自己の対峙によって、自分が想定する自己と、他人が想定される(実際の)自己との乖離を表現している。
後半のパートのテーマは記憶媒体と記憶の関係性である。 私は生まれてからすぐにパソコンやインターネットなど今まで以上に様々なメディアに囲まれた時代を生きている。 その結果アスペクト比や画質など、本来脳内の記憶とは別であるはずの記憶媒体の特徴が記憶と付随しているのだ。 前半パートで同じ対象を様々なメディアで長い期間撮影したのをザッピングしたのに対し、 後半パートでは短い期間撮影したものにすることで、記憶媒体と記憶のリンクを表現している。


キウーイ (2022)

アニメーション・トリッピングの項で前述した『文脈と「切り抜き」』の、主にサンプリングに関する部分を映像で表現した。


Comics / Book

今日のクリスマスの美学 (2024)

Audiostokerとの共筆詩集。逸脱と再帰を繰り返す言語ゲームの記録。
文脈が剥奪された悲しい言葉たち。


Performance

リストリアル、ファイン (2021)

世界(特にインターネット)はより「存在するもの」と「存在しないもの」の差が小さくなり、それらは渾然一体となり始めている。「存在する」価値がより求められるライブパフォーマンスを「存在しないもの」を擬似的に存在させ「存在するもの」と同居させることによって、そんな世の中を表現した。「存在しないもの」の代表として初音ミクを取り扱い、リアルタイムモーションキャプチャによるライブパフォーマンスを行う。